入院2日目の夜から突然始まった幻覚、幻聴……
私は夜中の3時頃に病院に行き、なんとかぴみさんの幻覚、幻聴を落ち着かせて、朝の6時に一旦家に帰りました。
家に帰ってきたら、次女はスヤスヤと寝ていました。
次女は結構敏感な方なのですが、私がいなくなった事はばれていなかったようです。良かった…
いつも通りに朝のインコの世話や次女の朝御飯、幼稚園の準備をして、次女を幼稚園バスに乗せて送り出しました。
1度家に戻り、家の残りの用事を簡単に済ませたら、またすぐにぴみさんがいる病院に向かいました。
「ぴみさん来たよ!体調はどう?落ち着いた?」
「朝御飯は食べた?」
そして、いつものように机においてある健康チェックの紙を早速見てみました。
熱は平熱ですが、ご飯はまだ完食はできていないようでした。
確か、主食、おかずなどに書くところが別れていて、完食をしたら10、全く食べれなかったら0、半分食べられたら5というように、数字でどれだけ食べられたかを表していく書き方でした。
「ご飯完食できないと元気になったと思われなくて、退院できないかもよ?!」
ぴみさんにはもう少し病院食を食べてほしかったのでそのように言ってみると、
「分かった次からちゃんと食べる!」
と言っていました。
そして、幻覚、幻聴はどうなったのかというと…
相変わらず何もついていないテレビを見ては急にケラケラと笑ったり、オーっ!と目を丸くしてビックリしていました。
「え?ぴみさんテレビ見て楽しんでた?」
「何が見えたの?!」
と聞くと、刀を持った昔の格好をした人が木を切ったり戦ったり、パフォーマンスのような凄い技をしていたと…
「ぴみさん、また幻覚見えたの?テレビは何も付いていないんだよ!今のも幻覚だよ!」
そして少し経つと、ベッドの下に置いてある自分の靴を見て、靴のなかに猫がいると私に教えてくれたり…
「今度は靴の中に見えちゃったの?それも実際は居ないからね!幻覚だからね!」
今度は入り口にある仕切りカーテンに目が入ると、仕切りカーテンの下から足が見える、そして靴下を履いていると言い出しました…
たまたま見回りで来ていた看護婦さんが
「どんな靴下履いてるの??」
と聞くと、
「ヒョウ柄!」
とぴみさんは答えていました。
食べ終わった朝御飯の食器と一緒に置いてあったジュースのパックか何かが入った袋を見て、
「袋の中に猿がいる!」
と指を指してビックリした様子で私に教えてくれました。
そして天井を見ては、
「あっ!蛙がいる!」
と指を指して教えてくれました。
相変わらず、ぴみさんの幻覚幻聴は収まってないようでしたが、前日のようにパニックになって怖がったり逃げ回ることはなくなったので、少し様態は改善したんだろうなと思いました。
そして幻覚が見えるたびに、
蛙はいないんだよ!ぴみさんは、病気の影響で見えないものが見えたり、聞こえない言葉が聞こえたりする、幻覚幻聴が起きているんだよ!
猿はいないよ!
ほら!良く見て!朝御飯のジュースのパックだよ!
と近くで見せたり、ぴみさんにちゃんと説明をして、それは幻覚幻聴だから本当の事ではないんだよ!とその都度説明をしました。
そして、3食ご飯を残さずしっかり食べて、ゆっくり休んで、早く元気になろうね!と言い聞かせました。
その時に、この幻覚や幻聴の症状はどうして出たのかを看護婦さんや医師の方に聞いたのですが、症状が重い川崎病になると希にこのような症状が出るんだそうです。
川崎病の原因ははっきりとは分かっていないですが、なにかが脳に作用したのではないかという事でした。
ぴみさんは8才にして、重い川崎病に罹ってしまったんですね。
40℃の熱が5日間続いて、全身に川崎病の症状もはっきりと出ていたのですから、確かに重い川崎病の症状と聞いた時に、私は納得できてしまいました。
しかし、重い川崎病の症状に幻覚、幻聴があったなんて…その事は全く知りませんでした。
ぴみさんは、入院して順調に体調が良くなっていっていると思っていたのですが、幻覚、幻聴という想定外の症状が出てきたので、この日から、朝幼稚園に次女を送り出したあと、昼御飯の時間、消灯時間には必ず毎日病院に行く事にしました。
そして、最初の2日間くらいは上に書いた時間以外に、夕方もぴみさんに会いに行ったと思います。
幻覚、幻聴という症状が長引いてしまったどうしよう?
すぐに治まってくれるかな?
と心配しましたが、入院2日目、3日目と幻覚幻聴が出た後は、全く出ることは無くなり、その日以来すっかり治まってくれたのでした。