熱も下がり、幻覚、幻聴も出なくなり、食欲も出てきて毎日病院食を3食完食できるようになったぴみさん。
入院生活にもやっと慣れてきたのは良い事なのですが、動く事といったら、トイレか歯磨き位しかありませんでした。
外出はもちろん禁止ですし、病院の中を散歩したりすることも禁止です。
病室の窓から見える病院の庭に行くことも勿論禁止です。
そして初めのうちはすぐ隣にあるプレイルームにも行くことは禁止されていました。
それから少し経ってプレイルームに行くことは許可が出たのですが、どちらかというと赤ちゃん向け仕様になっているので、遊ぶものがないと言って結局ほとんど行きませんでしたが…
とにかく、どこにも出歩く事ができないので、毎日がつまらないと思うようになってきました。
面会人数は基本1名で、妹は面会に行くことは出来ません。
あまり覚えていませんが、確か12際未満は面会は禁止だったように思います。
妹でいくら家族であろうとも、面会はできないんです。
なので、入院中の唯一の楽しみは、有料のテレビくらいでした。
旦那が、ぴみさんが好きなマンガやお笑い系の番組をメモして渡し、それがやっている時間に有料で購入したカードを通して見るといった感じでした。
そして昼御飯のあとは、学校の漢字ドリル、算数ドリルを毎日黙々とやっていました。
義理のお母さんは家が近かったので良く面会に来てくれて、お土産を持って来てくれたり、ぴみさんの話し相手になってくれました。
私の母親も電車とバスを乗り継いで、お土産を持ってぴみさんに会いに来てくれました。
そんな時、ちょうどタイミング良く、看護婦を目指す研修生の方達が研修のために病院に数日間来てくれて、子供の相手をしてくれることになったのです!
ぴみさんにも研修生が1人付いてくれました!
そして毎日10時頃にぴみさんのところに会いに来てくれて、ぴみさんの相手をしてくれるとの事でした。
これはとっても良いタイミングで本当に助かりました!
そしてどんなことをして遊んだのかというと、上の階でやっている折り紙教室に一緒に行って折り紙を折ったり、ベッドですごろくを手作りで一緒に作り、完成したすごろくでゲームをしたり、絵を描いたり、色々とお話をしたりといった感じです。
可愛らしくて優しいお姉さんだったので、ぴみさんはとても楽しそうに遊んでいました。
そして、ぴみさんは川崎病を発症してから唇が腫れた後に皮が剥けてしまったのですが、その影響でずっと唇がカサカサしていて、リップクリームがないとすぐに唇が切れて血が出てきてしまっていました。
なので、ぴみさんのベッドの机には私が用意したリップクリームが数本いつも置いてあったのですが、ある日ぴみさんの面会に行くと、リップクリームが折り紙で作った可愛い入れ物に入っていたのです!
「ぴみさん!これ可愛いね!!お姉さんと作ったの?」
「ううん。リップクリームがいつも机に置いてあって整理されてないし、私にとって大切なものだから、お姉さんが折り紙で入れ物を作ってくれたんだよ!!」
「そうなんだ!ほんとに可愛い!」
ぴみさんも喜んでいましたが、私の方があまりの可愛さにとても嬉しかったのを覚えています。
その時作ったすごろくやリップクリームの入れ物は、今でも大事に保管しているほど私の大事な思い出になりました!
そして、同室に同い年くらいの子が居たのですが、看護婦さんの気遣いもあって、そのお友だちとの間に仕切られているカーテンを開けて一緒にゲームをしたり、病院内にあるレストランで昼御飯の病院食を一緒に食べたり、トランプをしたり、折り紙をしたりして遊びました。
それまで、私や他の家族が面会に来ていない間の時間は、ぴみさんにとっては寂しくてつまらない時間でしたが、遊んでくれる友達や研修生のお姉さんが居てくれたお陰で、1人の時間の寂しい気分が大分紛れてくれたように思います。
ぴみさんは、病気というとても辛い経験をしたけれど、久しぶりにおばあちゃんに会えたり、看護婦さん、研修生のお姉さん、同室のお友達と遊んだり話をしたりした事は、とても良い経験になったので良かったです。